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神楽坂 居酒屋「あまくさ」第2回

居酒屋探偵DAITENの生活 第120回   2008年7月29日(火) 【地域別】  【時間順】



神楽坂 居酒屋「あまくさ」 第2回




神楽坂あまくさ


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 「よりみち横丁」から出て、「神楽小路」を歩き、神楽坂通り(早稲田通り)に出ると坂を昇り始めた。曾祖父と祖父の代に「世今堂」という「時計眼鏡貴金属商」を営んでいた場所に向かう為である。そこには、現在、万平ビルという小さなビルが建っており、その二階に居酒屋「あまくさ」が入っている。
 前回、この店を紹介したのは2008年1月30日(水)である。「万平ビル」「あまくさ」の店内については、そちらに詳しく書かれている。

 万平ビルの入口に降り立ち、エレベーターで2階に上がった。「あまくさ」と書かれた茶色の暖簾をくぐり、中に入ると目の前のカウンター席に座った。店内には、他に3人連れの客が二組いるだけであった。そして、店内には静かに音楽が流れている。しかし、ジャパンポップなどではない、ちゃんと演歌が流れているのである。

 すでに前の店でかなり呑んでいる。一杯だけ飲んですぐに帰るつもりであった。母は太平洋戦争の東京大空襲の前までこの場所に住んでいた。今日は我が御先祖様方に御挨拶のつもりでちょっと寄ってみたかったのである。
 酎ハイ(330円)を頼んだ。酎ハイと一緒に付きだしが出てくる。お腹も一杯であったが刺身類を何も食べていないことに気づいた。そこで、生タコ刺身(580円)をいただくことにした。

 出てきた酎ハイのグラスを目の前の空間に向かって捧げ持ち、御先祖様と乾杯をする。
私に顔が似ており大酒呑みだったという曾祖父のことが頭に浮かんだ。
 明治の終わりの頃であろうか。田舎から東京に出てきてから、横浜の外国人の元で時計修理の方法を学び、神田に時計の修理工場を建ててから神楽坂時計眼鏡貴金属商の店を出した人であるという。商売も大きくしたが遊びもしたらしい。あまりの大酒のみの為、息子と喧嘩をして、怒った息子(私の祖父)が一斗樽の栓を抜いてしまい、神楽坂中が酒臭くなってしまったという逸話もある。
 もちろん万平ビルが建つ前の戦前の話ではあるが母にとってこのビルの二階あたりは、子供の頃住んでいた空間そのものであり特別愛着があるという。

 生タコ刺身は本当にうまかった。歯ごたえがたまらない。生タコは私の好物の1つである。他にも食べたいものがたくさんあったがすでに深夜近くである。我慢することにした。

 酎ハイ1杯で、約30分の滞在、お勘定は1,280円であった。急いで、東京メトロ南北線の飯田橋駅に向かい城南地区の我が家を目指した。

 ※   ※   ※

 この後、8月に入ってからsakura可久鼓桃(母)と話し合って、お盆の頃に墓参りをして、ここの「あまくさ」で先祖供養の会を開こうということになった。


神楽坂 居酒屋「あまくさ」
東京都新宿神楽坂3-2-4 万平ビル2F
03-3260-9872
定休日 不定休 営業時間17:00~25:30
地下鉄有楽町線、南北線B3出口より徒歩2分
JR線飯田橋駅西口より徒歩3分



ホッピー原理主義者とは?
ホッピービバレッジが推奨する飲み方【3冷】を【原理】として、どこの酒場でもできるだけ原理通りの飲み方をしようと努力する酒飲みのこと。特に、大量の氷と多すぎる焼酎を入れたホッピーは、焼酎のオンザロックのホッピー味であって、本当の「ホッピー」ではないと考える。ホッピービバレッジの「飲み方いろいろ」を参照。

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神楽坂

Comments 2

新岳大典

Re: 世今堂(牛込神楽坂通り)について

鈴木様

はじめまして、私、新岳大典と申します。
お気遣いのメールをいただきながら、返信が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。

メールの宛先の守輪咲良は、私どもの劇集団咲良舎の代表であり演出家、そして私の妻であります。

実は、眼鏡拭きに印刷されていた店名「牛込神楽坂通り 世今堂時計眼鏡店」は、私の曾祖父が出店、祖父の代まで神楽坂で営業しておりました店に間違いありません。

本当にうれしいことであります。さらに、私は神楽坂の店で育ったわけではありませんが、現在八十六歳で私と同居しております母は、築地で生まれ、神楽坂の店で大家族と働くたくさんの人たちと共に育ちました。ゆえに、母にとっては神楽坂は故郷であり思い出の地です。母は祖父から眼鏡の加工を教えられ、自分の店を開いたこともございます。 母は小さい時から店を手伝ってお
りましたので、あるいは、その眼鏡を手にとったことがあるかもしれません。 母にとって、これはとても喜ばしいことです。

重ねて、コメントが遅くなったことをお詫びいたします。
そして、本当にありがとうございました。

  • 2014-08-16 (Sat) 18:26
  • REPLY
鈴木

世今堂(牛込神楽坂通り)について

守輪咲良様
 数年前にある骨董店で古い丸型の 眼鏡とその古い眼鏡ケースを入手しまし
 た。 そのケースに付いて いる眼鏡拭きには「牛込神楽坂通り  世今堂時計  眼鏡店」と印刷されていました。 もうその店はないと思いましたが、念の為ネット で チェックしましたら~FC2の神楽坂居酒屋「あまくさ」第2回(2008年7月29日付 に「曾祖父と祖父の代に「世今堂」という「時計眼鏡貴金属商」を営んでいた 場 所に向かう為である・・・」の記載がありました。 
 守輪様の先祖の眼鏡屋さんが扱っていた古い眼鏡が今でも大切に
 保存使用されている事、お知らせさせていただきます。 なお、レンズ
 は私の以前使用していた眼鏡のレンズに入れ替え、時たま使用しています。
                                     

  • 2014-07-27 (Sun) 23:09
  • REPLY